■ INNOVATION #04

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■ INNOVATION #04

インターモダルの視点を考える vol.1

インターモダルの視点を考える

今回は経済評論家の岩本沙弓氏と、女性では珍しい航空コンサルタントとして、長年世界の物流業界で活躍される園山玲子氏との対談です。日本だけでなく世界の物流は、その時代の経済と政治情勢に大きく影響を受けてきました。園山氏は独立後、北九州空港のコンサルタントと勤めるなど、日本において数々の空港の事業モデルに関与されています。今回の対談では、まだ日本が高度成長期を迎える以前から海外の航空会社で物流に携わってこられた園山氏の経緯と、航空コンサルタントしての視点を培われた時代背景などをお話いただきました。
岩本氏:航空機というと、いわゆるパッセンジャー(旅客)のほうの見方をしてしまうと思うのですが、園山さんの場合はカーゴ(物流)の視点というところがとても新鮮に感じました。

園山氏:そうですか(笑)

岩本氏:ええ。カーゴの世界は普段、なかなか垣間見る事が出来ない分野ですけれど、やはり物流は経済の基本であることは間違いないので、非常に興味深く感じました。またカーゴの業界には、なかなか女性はおられないんじゃないかと。

園山氏:ええそうです。私が始めた頃はもう、貨物の業界はまさに男性社会でしたから、なんてゆうのでしょう、皆から不思議がられましたね。なんでカーゴなの?と(笑)

岩本氏:そうでしょうね(笑)最初からエアカナダにおられたのですか?

園山氏:それまでにいくつか違う職場にはいたのですけれど、たまたまオーストラリアに行きたいという希望がありました。

岩本氏:それは学生でいらした頃ですか?

園山氏:いえ、以前の職場に、メルボルンにある新聞社の特派員として日本に赴任されていた方がおられて、私はその方のアシスタントの仕事をさせてもらっていました。特派員ですから、1年半くらいすると転勤でオーストラリアに戻られることになって、一緒にメルボルンに来ないかと言われました。

向こうに行けば、仕事も一緒に探してあげるし、現地にご家族もおられましたから、いろいろ助けてあげられるよということで、じゃあオーストラリアに行こうと(笑)そこからですね。

岩本氏:一念発起されたんですね(笑)
園山氏:その当時、オーストラリアに行くには日本から一番高い航空運賃だったんですね。その頃のお給料が4万円くらいだったのですが、片道17万円くらいでした。

岩本氏:それは高い。

園山氏:ええ。なので、親に出してというわけにもいかないし、一番経済的に確実に行くには、エアラインに勤めて、割引の得点を使えたら割安で行けるんじゃないかと。

岩本氏:計算されていたんですね(笑)

園山氏:ええ、若かったのです(笑)

岩本氏:当時の日本で、外国といえばアメリカや欧州というイメージでしたから、オーストアリアという発想はなかなか無かったのではないですか?

園山氏:ええ、あまり無いですね。それがなぜオーストラリアなのかというと、二つ理由がありまして、一つは先程のオーストラリア人でメルボルンの方が、たまたま私の上司だったことと、もう一つは、当時1965年前後ですから、日本が経済的にオーストラリアと経済同盟を持ち始めた頃でした。あちらは鉄鉱石などがありましたので、丸紅さんなど日本の商社さんがどんどん進出し始めていました。

ですからメルボルンだったら現地の日本企業にも勤めることができるし、学校にも行けるよと。私は学生の頃アメリカにいたことがあって、もう一度アメリカに戻って学校に行きたいと思っていたところに、ちょうどたまたまそういう話があったというわけです。
岩本氏:もともと海外で学ぼうと思ってらした。

園山氏:そうです。これから仕事をして行くにも、基礎になるものが欲しいと思っていました。

岩本氏:でも当時としては、留学される女性も少なかったのではないですか?

園山氏:あまりおられなかったでしょうね。でもあまり気にしていなかったですね(笑)
そこで、ジャパンタイムスのエンプロイーウォンテッドの欄を見ていたら、カナダのエアラインがセクレタリーを募集しているのを目にしたのです。

岩本氏:最初はセクレタリーで入られて、その後ステップアップされたのですね。

園山氏:ええ。そのセクレタリーで入って、私のポストが貨物の部署だったのです。そこから私の貨物との出会いの始まりでした。エアカナダの募集には、ただセクレタリーとしか書いてありませんでしたから。

岩本氏:じゃあ偶然そこに?

園山氏:ええ。まずなぜ募集をしていたかというと、「SEA&AIR」といって、船で日本からカナダまで貨物を輸送して、そこから飛行機に乗せてカナダ国内もしくはアメリカ、ヨーロッパに輸送するというルートをエア・カナダが新しく開発したのです。そこで貨物販売責任者とセクレタリーを雇っていこうとなり、そこに私がぽっくり入ったんですね。

岩本氏:もちろん英語ができてということでしたでしょうけれど、ご縁だったんでしょうね
園山氏:ええ。会社に初めて行くと、あなたはここよと言われたのがカーゴでした。上司はずっとカーゴにいた方だったので、何も心配しなくていいよと言われましたけど、貨物のことは何も解らないで入社しました。

その頃日本の貿易は弱かったので、必ずL/Cが日本の荷主に届きました。その後エアカナダの「SEA&AIR」を使えと文面が入ってる。でもその頃は他の航空会社には「SEA&AIR」というルートはありませんでしたから、お客様から「これはいったい何なの?」という電話が限りなくありました。

岩本氏:その頃の貨物といのはどういうものがあったのですか?

園山氏:雑貨類が主でした。それこそラーメンだとか造花だとか。

岩本氏:おもちゃのような、いわゆる安い商品だとか。

園山氏:そうです。当時はヨーロッパまで船で1ヶ月以上はかかっていたんですね。それを「SEA&AIR」なら約半数の18日くらいで届く。つまりL/Cの利息がセーブできますよというのが売りの一つでした。二つ目が空港に着くので、通関が船より早い。また三つ目は、半分は船で半分は飛行機ですから、直接飛行機で運ぶよりも4割から料金は安くなり、日数も大幅に短縮できるのが特典でした。

岩本氏:そういうアイデアは他社にはなかったんですか?

園山氏:はい、他社はなかったと言っていいと思います。エアカナダがそのルートをスタートする1年ほど前、APL(アメリカンプレジデントラインズ社)が、香港から大量のクリスマスオーナメンツをバンクーバーまで船で送ったあと、どうすればニューヨークのお客様に早く届ける事ができるかと、エアカナダに空輸の相談をされたのがきっかけだったと聞いています。

それともう一つ、当時バンクーバーは切花とソーセージしか東部へ輸送する貨物が無かったものですから、つまり東部(モントリオール・トロント)からの貨物はあるけれど、西部(バンクーバー)からは無い。飛行機は行って帰っての往復を飛ぶわけですから片荷になってしまうわけですね。

岩本氏:もったいないですね。

2013/11/04


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