■ ADV(アドボカシー)な人々 #09

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株式会社パティシエ エス コヤマ 代表取締役 小山 進 「いまのきもち」vol.1

「ADV(アドボカシー)な人びと」今回のゲストは、兵庫県三田市にある「パティシエ エス コヤマ」の小山進さん。10月31日にフランスで行われた世界最大のチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」にて、C.C.C.(クラブ デ クロクール ド ショコラ:フランスで最も権威あるショコラ愛好会)のコンクールでの最高評価と、全出品250作品の中で満点の160点を獲得し最高栄誉に当たるアワード エクセレンスを受賞しました。昨年は最優秀賞を逃したため、2011年、2012年に引き続き3度目の最優秀賞の受賞で、見事にリベンジを果たしました。フランスに出発する前、まだ出展作品を開発中の小山さんにクリエイティブな発想の源を伺いました。
谷本氏:いまや世界的に有名なパティシエ、ショコラティエでいらっしゃる小山さんですが、実は、お母様がケーキ屋さんになることに反対されていたにもかかわらず、お父様と同じ道を選ばれたそうですね。どういったところに魅力があったのですか。

小山氏:まず自分は「ものづくり」が好きなので、なりたい職業にはミュージシャンや陶芸家、テレビのプロデューサー、学校の先生といろいろあったんですけど、その中にちょこっとだけケーキ職人というのも入ってました。父がケーキ職人なので、幼稚園の頃からケーキ屋の厨房で遊ぶことが多かったんです。そこは父親の店じゃないんですが、近所やったから遊びに行ってたという感じです。

たくさんある仕事の中からケーキ屋を選んだというんじゃないんですが、たまたま、あるクリスマスの日に僕は、皆で手伝ったら早く終わると思って、お菓子屋さんの職人に交渉したことがあったんです。

それを聞いた父は初めて僕を怒ったんです。それは父としてじゃなくて、職人として。「お前は会社のことを解っていない。ここ一発頑張らなあかん1日に、今日早く帰りたいというのは子どもや」と。その瞬間、お父さんカッコ良いなぁと思ったんです。

父はそれまで僕のことをずっと怒れなかったらしいんですね。その日の帰り、もう朝方でしたけど、「さっきは悪かった。俺はおばあちゃんのお腹にいるとき、お前のおじいちゃんになるべきだった人が死んでしまっていたから、俺はお父さんの顔は写真でしか見たこと無い。声も聞いたことないし、一緒に遊んでもらったこともない。だからいまだに父親としてどうあるべきかが全くわからんから、父親としてはよう怒らんかった。

一瞬のことで考えたらとお前の言うことは決して間違いじゃない。けど俺は仕事を一生懸命やってきたから、それに関しては、ちょっと違うと思ったから言うたんや。気を悪くせんとってくれよ」と言ったんです。子どもの僕にそこまで気を使って、父親であることに自信を持てずに僕を育ててくれたんかと思うと、なんか父親の応援団長になろうと思ったんです。
その前から母には反対されていたんです。みんなが大学行ってる4年間、もうくしゃくしゃの顔して「今すぐでも辞めて大学行け」と。学校の成績は悪くなかったんですよ。というよりまあまあ良かったんです。母にすると、絶対に良い大学に行ってくれるだろうと思って育ててきたというのもあると思います。

ケーキ屋という職業でお金を稼いで僕が大きくなったということと、母が反対する愛情。それは僕の中でうーんという感じやったわけです。「ものづくり」が好きやし、何かにならなくちゃいけない。でも父の仕事を見てケーキ業界がクリエイティブでめちゃくちゃ魅力的かというと、まだあの時代は解らなかった。

ただ、父の持って帰ってきた専門書にフランス人の飴細工の写真なんかが載っていて、父の仕事場では見たことないけど、どこか良いとこに行けばそういうものに辿りつくんじゃないかという、そんな期待感はありました。だから神戸に行ったんです。「神戸の職人に教えてもらったんやぞ」というのが父の自慢やったんで、神戸に行ったらなんかあるんちゃうかと。

谷本氏:就職されて、最初はパティシエではなくカフェのフロアスタッフだったそうですね。

小山氏:カフェというより当時は喫茶店ですね。喫茶のカウンターの中で紅茶を出したり、サンドイッチを作ったりしてました。最初からケーキのアトリエに配属になった人と比べると、明らかにケーキを作る時間はなかったわけです。

京都を出るとき、近所のおばちゃんに「進ちゃん、お父さんと同じ水商売に進みはるんやて」と言われてたんですよ。水商売が悪いというわけじゃないですけど、あの頃ってやっぱりその聞こえは悪かったんですね。ああやっぱり親父の仕事はそう思われてるんやなと。

母が反対して悲しんだ姿と、近所のおばちゃんの噂話がリンクするわけです。だからどんなことがあったって、へこたれるわけにはいかへんかった。でもハイジの前田社長は面白かったしすごいなと思っていたんで、社長だけ見てきましたね。
谷本氏:バラのバターの話がすごく印象的なんですが、やっぱり成功される方って、目の前のことに腐らない。目の前の仕事に100%120%の力を出されるんだなと。

小山氏:あれは父のおかげです。父が夏にバラの花の内職してたんですよ。なんでうちの親父はある時間になったら、ずっとバラを絞り続けてるんか不思議でしょうがなかったんです。それを缶カンに入れて取りにくるおっちゃんがいるんですよ。それをずっと見てたからなんとなくです。

どこかで買ってきたパンを厚めにして斜めに切って、そこに市販のバターを四角に切って添えるというのが、僕的に許せなかったんです。仕事の内容的にね。だからといって会社に怒っているわけじゃない。でもなんとかしたいと。これバターだけでもバラに変えたらどうやろ。

それって僕でないとできないという、僕の存在理由がはっきりするじゃないですか。だからコソってやってたら見つかってしまった。だけど褒められたんです。そこからですよ。僕を応援してくれる先輩と、「何なんやあいつは」という先輩と半々でしたね。

谷本氏:「やってやる」というわけでもなく、自分のプライドのためにやられたのですか?

小山氏:プライドというか、母親に反対されてなった職業やのに、なんてレベルの低いことを俺はしているんだという。それが「俺やったらこうする」という自分のスタンダードレベルに反してたんです。たとえば夏休みの宿題で「俺やったらこんなロボットをこれくらいのグレードで出したい」という、それと一緒です。

返事の大きさにしても、頼まれたことを全速力で走って報告する姿勢であっても、当たり前のことを当たり前にするという部分では、入社して1週間で、中途半端な先輩には負ける気せんかったんです。「なんぼケーキ作れるか知らんけど、なんであんなイヤイヤやってるんや」と思っていましたから。

谷本氏:小山さんはたくさんの賞を国内外でお取りになられてますし、天才だとも言われてらっしゃいます。才能ももちろんですが、天才たる所以というのは、実はそういう努力だったり、真摯に向き合う姿勢みたいなものなのでしょうか
小山氏:いや僕は全然天才じゃないですよ。むしろ器用でもないし、やらないとできない人間です。ではあるけれども、強いて言うなら「子どもの頃からの経験を全部使いこなす天才」ですね。これは関係ないと思ったことが無いから、全く関係ないことだって使える。だから24時間インプットです。まずはアイデアというかインプットじゃないですか。今までの自分の経験の中でのインプットが、スッと商品になるから、僕はずっとラクなんです。

ものすごく解りやすい言い方をすると、「これは面白いのか面白くないのか。お客様はびっくりするのかしないのか。それは『すべらない話』と同じ感覚や」ってスタッフには言うんです。子どものときから、ポッと言ったことが皆にワっとウケたり、言ったことが全然シラけてしまったり。その感覚に似てるから。何を切り抜くかという感覚は、子どものときから今まで現在進行形で、努力しないと時代遅れになるという感覚はあります。

味覚が真ん中にあって、19歳から培ったお菓子を作る技術、あとは着目点を得て面白いネタをアウトプットするという、そのネタの部分。切り口、味覚、技術。切り口を技術でもって、また味覚でもってアウトプットに変えるわけですから、そのバランスやと思いますね。

片岡氏:2011年に出品する直前にお会いして、ちょっと試食させて頂いたんですけど、ビジュアルは似てるじゃないですか。でも違ってる?

小山氏:全く違いますよ。

片岡氏:そのバージョンアップって、具体的に何が違うんですか。

小山氏:2011年というは、ジャン=ポール・エヴァンさんやピエール・エルメさんも参加されている、フランスで最も権威あるショコラ愛好会『クラブ・デ・クロクール・ド・ショコラ(通称C.C.C.)』のコンクールに出たんです。ショコラの本場に殴りこみというと失礼な言い方だけど、そこに行くと。そのためには、彼らの誰かが僕のチョコレートを食べたときに、「コイツ、ちゃんとチョコレート作れるな。ちゃんと産地のことも解ってるヤツやな」というパスポートを作らないといけないと思ったんです。

産地別の特徴的なカカオを使用したビターチョコやミルクチョコとか、あとプラリネといって、ナッツとチョコレートの融合をしっかり押さえたものを作ろうと。それが自分の基軸になって『J.CHOCOMANIA.1964』ができたわけです。
そのあとにコンクールがあることを知ったので、『J.CHOCOMANIA.1964』を基本に3品、マダガスカルのビター75%、ミルク51%、ピエモンテ産ヘーゼルナッツのプラリネ。ここで初めて、京都生まれの僕のオリジナリティをちょっと出そうと思った大徳寺納豆。2009年頃、キャラメルで有名なアンリ・ルルーさんがこれを食べてびっくりされて、これはすごいねって。初めて僕のショコラをフランス人に褒められた瞬間やったわけです。

これはラフロイグ10年と木苺。ラフロイグ10年というのはスコットランドのものなので、日本人の僕が洋モノをどう扱うか。洋モノの扱いでも、普通はクセのあるラフロイグを木苺とは合わせませんよね。それを「この組み合わせはいける」と感じるところに、僕の感覚が入っているんです。でもどっちかというと、僕は我慢していたんですよ。なんせ、「自己紹介」というのがこの年の僕のテーマでしたから。

片岡氏:あまり自分を出さないように?

小山氏:そう。もっと面白いものが作れるけど、初回なのであまり行きすぎたらあかんと。で、翌2012年は爆発したんです。いきなり2011年にファイブタブレットで最優秀賞やったから、出してもいいかもしれへんと思って。

2012年の自身のテーマは「遊び心」。1番目は僕にしか手に入らないコロンビアのオリジナルのカカオ。カカオというのは、常に勉強しておかないと、そしてそのカカオが欲しいと思わないと手に入らないので、これは誰も知らないだろうと。2番目はふきのとう。3番目は兵庫県西脇市の金ゴマのプラリネ。4番目は兵庫県産の酒粕。特純米吟醸で作ったものです。

5番目は「忍者」と名付けたショコラ。これはマンガの『NARUTO』から。僕が『NARUTO』の大ファンで、サクラという名前の女の子が出てくるマンガやから桜の木のチップ。植物系が合うのはエクアドルのカカオなので、それを融合させて。

こんなん誰も作らへんやろうと、結構自分の感覚を入れたんですね。2013年はその繋がりではあるけれど、やっぱり新しいカカオ。それと「初めまして」というミカンの皮を焼ききるっていう。みかんの皮って捨てるけど、皮を焼くとすごい酸味が上がってくるんです。あとは万願寺とうがらし。それに白トリュフハチミツ。これは赤出汁をイメージして、赤味噌と山椒の2トーン。

片岡氏:この流れで来ると難しいじゃないですか。4回目っていうのは。

2014/11/05


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