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現代イスラム研究センター理事長 宮田律 「いまのきもち」

 フランスの風刺週刊紙「シャルリ・エブド」襲撃事件をきっかけに、欧州をはじめとする世界各地で緊張が高まった。パリでの襲撃事件のあった直後、現代イスラム社会研究者である、現代イスラム研究センター理事長の宮田律氏にお話を伺った。これまで比較的良好とされていた日本とイスラム諸国との関係が、今後、どのように変化していくか。また、イスラム社会と日本はどのような関係を将来に渡り構築していくべきだろうか。

加藤:先日、パリであのような事件(1月7日「シャルリー・エブド」襲撃事件)が起きてしまいました。事件のあった場所は日本人観光客もよく訪れるマレ地区にも近く、パリの中心部でした。

宮田: 犯人である兄弟が生まれたのは第10区。警察が狙ってマークしていたのは19区ネットワーク。加藤さんもパリで暮らしていらっしゃいましたが、19区ってすごく治安が悪いんでしょ?

加藤:比較的悪いほうです。ビュット・ショーモンという大きな公園があの辺にあって。

宮田: たしかに大きな公園がありますね。そこにモスクがあって、そこでその急進的な説教師に刺激を受けたらしいんですよね。

片岡:兄弟で?

宮田:兄弟です。それで弟のほうがより過激になっていって、イラク戦争に怒ったらしいです。イラク戦争とか、あのアブグレイブという刑務所での捕虜の扱いに怒って、自分もイラクに行こうとしたんだけれども、そこで捕まってしまったということです。懲役3年の刑を受けたのですが、実際には18カ月しか服役しなかった。その後、あるアルジェリア系のイスラム過激派の脱獄を計画し、ずっと当局から追われていたらしいが、今回こういう事件を起こした。まだ捕まっていないですよね(取材:1月上旬)。

加藤:パリに住んでいたときに、印象深かったことがあります。ある週末、街を歩いていて、反イスラムの集会を始めようとしているところに出くわしたのですが、そこに集まっている人たちが全く普通の人たちだったんですね。過激な感じでも何でもなくて、普通のフランス人たちです。それが逆にすごく衝撃的で、何かとても根深い、この問題の本質を感じました。

宮田:不信感なのでしょうか?

加藤:普通の人々、あるいは普通に生活しているように見える人々が、心の中で嫌悪している、対立構造の根深さといいましょうか。強烈に印象に残っています。

宮田:アルジェリア人を低く見るというのは、昔からあるみたいですね。実際にアルジェリアを支配しているわけですし。映画『アルジェの戦い』なんて観てみると、フランス人はアルジェリア人のことを「虫けらのアラブ人」とか、そういう呼び方をしています。だから、相当蔑視観は根深くある。一方、未熟練労働者として移民として入って来た第一世代には、まだアルジェリア人という意識がありますが、第二、第三世代には、むしろ自分がアルジェリア人だという意識は低く、生まれた国に対する愛着のほうが強いと思います。だけれどもフランスで受け入れられない自分たちというのがあり、経済的にも貧しいし、教育も受けられない。今回の兄弟もそのような立場にある人たちですよね。

加藤:何かものすごく緻密に計画されていた感じですね。この日に編集会議があるということがわかっていた。

宮田:そうですね。情報は入っていて、事前に動いていたようですね。不思議です。カラシニコフの扱いはイラク戦争に行くことを決意したころ、内密に訓練したようです。イエメンに行って習ったという情報もあります。確かにイエメンでは撃ち放題かもしれません。砂漠地帯に行って撃っても誰にもわからない。

加藤:前にオーストラリアでも、カフェの立てこもりがありました。カナダの議事堂でも事件がありました。この先何が起きていくんだろうと不安に思います。

宮田:イラクの空爆で関わっている国は危ないですよね。カナダ、オーストラリア、フランスと全て3カ国は関わっています。次はイギリス、あるいはまたアメリカとか、このような事件が発生する可能性もあります。

最近ニュースでききましたが、日本からも続々とイスラム国に行っている人たちもいます。日本も格差社会になり、時々通り魔事件もあります。ドロップアウトした人たちの起こす事件と考えると、決して他人事、対岸の火事ではない。「イラク・ニュース」といウェブサイトではニュースでは、イラク政府関係者の話として昨年9」月ぐらいに、イスラム国に40人ぐらいの日本人がいるという情報も紹介されています。日本でもそういうドロップアウトした人たちが、彼らに加わるという可能性はあるかもしれないです。

加藤:先生の著書を読むと、敬けんなムスリムの方ではなく、むしろ何も知らないような人が関わっているとのことですが。

宮田:そうです。普段宗教心のないような人々が、そういう過激派に入っていき、カルト的な言説に惑わされてしまう。そういう構図になっていると思います。

加藤:敬けんなムスリムではなく、不満を持っている人が、そういうところに自分たちの不満のはけ口を求めていってしまう。私もヨーロッパにいたとき、もちろん彼らほどではないですけれども、アジア人であるというだけで、不愉快な言葉を投げかけられた経験もあります。何となく社会的に異質なものとして捉えられている感覚が時にありました。もちろんほとんどの方たちがいい人たちでしたし、私は数年住むだけでしたが、ずっと社会の中で異質なものとしてみられながら育つ、というのは、いったいどんな気持ちだろうと考えます。

宮田:私は米国の大学に留学していた際、大学内部で差別を受けることは全くなかったのですが、一歩大学の外に出ると、何か冷たいものを感じるときがありました。例えば、東ドイツだったドレスデンなどに行くと、ネオナチが歩いていて、にらまれるわけですが、背筋が冷たくなるような怖いものがありました。フランスの場合も、そういう連中が結構、街を歩いているわけです。ネオナチもですが、フランスの極右の国民戦線も党員の数が多いですからね。

加藤:フランスも極右政党が今すごく伸張しています。

宮田:(国民戦線の党首である)ル・ペンも荒唐無稽な感じがしますが、今や第三党です。そういうことを考えると、日本でも一部の人たちのこととはいえ、ヘイトクライムやヘイトスピーチなどがあると、在日の方たちは疎外感を感じるんじゃないでしょうか。何か同じ潮流が日本にもあるように感じます。

片岡:いわゆる右の人がより右にいき、左の人はより左にいくという、両極にふれる感じでしょうか。

宮田:しかし、よくわからないですね。普通は、あれだけ刺激する記事は掲載しない。

片岡:そうなんですよね、ちょっと。やりすぎな感じがする。

宮田:イスラム教徒が反発するということをわかっていてやるわけです。何かハラスメント的な印象を受けます。イスラム教徒に不快感を与えているということはわかっていて、承知のうえでやっている。あえてそういう風刺漫画を掲載するということは、彼らもやはり責められてしかるべきなのかなと私は感じます。

加藤:もちろん暴力はよくないけれども、ということですよね。

宮田:そうです。表現の自由と言っても、節度は必要だと思います。一方、欧米側も、何か欧米でテロがあると、「テロに激しく抗議する」と言うけれども、そのテロの背景を作った自分たちの行為、行動はどうだったのか?とも考えます。例えば、今回のあの事件の犯人兄弟にしても、イラク戦争とかアブグレイブでの拷問というのが動機になったと言うんです。欧米の軍事介入によって、10万人以上とか、あるいは多い見積もりだと50万人とか、イラク戦争で亡くなっています。しかも正当な根拠がないということがあとで(あとでというか最初からわかっていたけど)わかりました。そういう戦争の中で、米兵の4000人の10倍以上が亡くなっている。暴力の負の連鎖をもたらしているのだと感じます。オバマ大統領はイスラム国を軍事力、空爆でもって撲滅すると言っていますけれども、それで解決するとはとても思えないです。かえって、対テロ戦争後のほうがテロは増えています。パキスタンでは、9・11事件が起こる前年の2000年にはわずか14件だったテロが、昨年度は6,000件以上発生し、手がつけられないほどの暴力が席巻する状態になっています。対テロ戦争は全く逆の効果を生んでしまったと考えざるを得ません。イラクだってサダム・フセイン政権時代にはアルカイダは存在しませんでした。イラクでアルカイダの誕生をもたらしたのが、イラク戦争だったわけです。なおかつ、シリアについても明確な戦略があるわけではありません。今、アメリカはシリアに関しては非常に困っていると思います。アサド政権打倒とずっと唱えてきたけれども、今、空爆の対象は「イスラム国」ですからね。これではアサド政権を助けることになってしまいます。

加藤:そうですね。

宮田:そうすると、ではいったいどういう未来のシリア像というのを描けばよいのかわかっていません。アメリカやヨーロッパ諸国もそうですけど、頼りにしていたのはシリアの反体制派でした。

加藤:自由シリア。

宮田:Free Syrian Army、自由シリア軍ですね。そしてそれも今だんだん消滅状態になっているにもかかわらず、アメリカは武器を与えよう、「穏健な武装勢力を」、と言っています。「穏健な武装勢力」の定義もよくわかりませんが。

加藤:何を以て「穏健」と言うのか。

宮田:はい。それで、武器を与える。そしてそういう連中が戦闘で破れると、すぐにその武器がイスラム国か何かに渡る。結局、紛争をより悲惨なものにしている、という感じですね。

加藤:負の連鎖というお話がありました。欧米が空爆などで攻撃をし、攻撃された国がそれに反発をする。一方で欧米側も、移民の人たちがたくさんやってきて、普通の人々の職が奪われ、自分たちの国に関してどんどん不安を抱いていく。断ち切れない、負の連鎖に絶望を感じることがあります。宮田先生は書籍で数多く提案も書かれていらっしゃいますが、先生ご自身、絶望されませんか。

宮田:根が深いですし、この種の問題解決の難しさを感じています。だからこそ、長期的な視野を持って取り組まなければいけない。短期的に言えば、例えば空爆というものも選択肢として考えられるかもしれませんが、決して根本的な解決にはなりません。国際社会の闇の部分が、こういう人たちの活動の源泉にもなっているし、今の国際社会の南北問題のようなものが、これら事件に象徴的に表れていると感じます。

また、気候変動の問題にしても、気候変動によって農地が少なくなり、少なくなったその農地を奪い合っている。特に北アフリカでは武装集団が出てきていて互いに戦闘しています。ボコ・ハラムもそうですよね。ボコ・ハラムの根拠地にあるチャド湖という湖はもう、元の湖の95%がなくなっていて、周辺の農業地帯は壊滅状態になってきている。こうした極限状態では、武装集団しか食料を確保できない貧困状態があるわけです。そこで若者たちは武装集団に入り、衣食住を確保する。あるいは、家族を支える。そういう構図になっていると思うんですね。

ノーベル平和賞を受賞されたマララ・ユスフザイ氏は、女子教育の必要性を訴えていました。イスラムの世界は、教義的な問題もありますが、女性の社会進出が進んでいないために、子だくさんの家庭が多く、その人口増加に対して見合うだけの食を供給できないという問題があります。

ですから、女性が教育を受ければ、自ずと社会進出が進み、出生率も下がってくということになると思います。貧困や暴力を減らすためには、長期的には教育が重要ではないか。マララ氏が言うように。

今回の兄弟たちも、貧しいがゆえに教育を受けられなくて、ドロップアウトという道に進むしかなかった。例えば、よりよい生活を求めヨーロッパに移住しても、ヨーロッパでは自分たちが期待するような生活が得られないと、また過激な行動に走ってしまう若者が増えると思います。これはイスラム世界の内部でも同じ構図です。大都市に行けば何かいい生活が得られるんじゃないかと思い、いやいや来てみたが、実際には職にありつけない。そこでドロップアウト。スラム街に住むようになります。さらに、職もなく、教育も受けられなくて、世の中つまらないから、イスラム過激派に入る。そういう負の連鎖が続いています。

だから国際社会全体で取り組まなければいけないのは、途上国の政治的、社会的安定なのです。そういう意識を持って取り組まなければいけない問題なのに、そういう認識を持った人たちも、もちろんいるのでしょうが、欧米諸国の政治指導者たちにはあまりそういった認識がないようにも感じます。即、空爆でテロとの戦争、そういう発想になってしまう。

イスラエルはもっとひどいですよね。もうあれだけガザをボコボコに破壊し尽くしたら、さらに暴力を増殖させるだけです。そうした環境の中で育った子どもたちは精神的に参ってしまう。実際に親や家族を殺されたら、イスラエルに対して復讐心を持つな、といっても難しいじゃないですか。

片岡:そうですね。

宮田:イスラエルも本当に暴力を減らそうと思ったら、パレスチナ人の生活や福利厚生を考える。あるいは国際法を守って入植地の拡大をやめるとかが必要です。先日もヨルダン川西岸のチーズ工場を破壊し、そこにまた入植地を築くなど、なし崩しにやっているわけでしょ。アメリカ側も圧力を加えてストップさせることができない。かえってガザ攻撃時も武器弾薬をイスラエルに提供する。そういうアメリカのイスラエルに対する姿勢も、イスラム側からの反発を招いているのではないかと感じます。もちろん、イスラムの側も暴力に訴えるという方法をあらためなくてはいけません。

ジハード(聖戦)は本来、「信仰の道において努力する」という意味なのですが、このジハードを狭く捉える人たちがいて、異教徒や、あるいは異端と戦うことがジハードだと捉えている人たちが増えています。ですので、イスラムの聖職者たちも、もっと声を大にして伝えたほうがいいと思います。例えば、エジプト・カイロのアズハル、これはイスラムの宗教研究の権威です。こういったところの研究者は聖職者たちで、彼らは暴力をやめるべきであると訴えています。でも、そういう声がなかなか世界的に響いてこないのです。ニュースでもあまり取り上げられていません。

イスラムにも、ローマ法皇のようなリーダーがいれば、イスラム世界の現状も変わると思います。それに変わる宗教権威を持つとすれば、アズハルとか、トルコの宗務丁の長官、あとサウジアラビアにはイマームという宗教の最高指導者がいます。

加藤:イスラムにはいろんな宗派があります。あれだけ宗派があると、お互いに緊張関係にあり、ローマ法皇のような存在というのは難しいのでは?

宮田:そうですね。イスラムには大きくスンニ派とシーア派があります。スンニ派もイスラム全体に号令をかけられるような、何かそういう権威をもてばいいと思うんです。「イスラム協力機構(現在のイスラム諸国会議)」という地域機構もありますが、十分機能していない印象です。アラブ連盟も、例えば1990年のイラクのクェート侵攻のときには域内での解決ということを訴えましたが、先代のブッシュ政権が取り合わず、米軍をサウジアラビアに派遣し、結果軍事的な緊張が高まりました。

一方、単に欧米だけの問題ではなくて、アラブ諸国、イスラム諸国政府の拙さもあると思います。カダフィやムバラクは、途方もない蓄財をし、他方、多くの国民たちは貧困にあえいでいる。シリアのアサド政権も同様です。失政がもたらす社会経済格差の問題もあります。あとはさきほども言いましたが、為政者たちは教育の普及を考えていない、いかに教育が大切かということを意識していないかのようです。

私は1980年代、アメリカに留学していました。アメリカの中東学会で、なぜ日本は成功し、アラブ諸国は発展できないのかという議論がありました。シカゴ大学のある教授は「日本には教育があり、それが経済発展の背景や素地になったけれども、アラブ諸国にはそういうものがなかった」と言っていました。アラブ世界の指導者たちは、教育の普及や社会全体の発展を、ごくごく一部のエリートと、それ以外の大多数の大衆(マス)、貧困な民衆とに二分している構造を容認しているかのようで、いびつな社会構造になってしまった感があります。

加藤:上層部の人たちが腐敗するという傾向が強い気がします。それは何故でしょう?

宮田:一つには、武力を背景に政治を取った人たちが多いからではないでしょうか。サウジアラビアの王族も、もともとは遊牧部族の部族長で、戦って王国を作りました。エジプトの政権も同じく軍人です。武力を背景に政権を取った人たちには、想像ですが、民意や民衆の声に耳を傾ける姿勢がないのではないかという気がします。本来イスラムという宗教は、経済的な平等を考えなくてはいけない。これは、イスラムの根幹にある考えなのですが、なぜかそういったものが意識されていないと思います。そういった背景もあり、イスラムの根本に立ち返って正義や平等を確立しようと、イスラム原理主義の運動が広まっていったわけです。そして、その極端なかたちがいわゆる「イスラム過激派」によるテロ活動です。しかし「イスラム国」の残忍非道な行為を見ていると、彼らは明らかにカルト集団ですし、貧しい人たちのことを考えて彼が国づくりしているとは思えません。

先ほどのアメリカの中東学会で、日本の寺子屋について話が及びました。伝統的に日本というのは教育を重視する環境があり、それに対してアラブではそういう伝統、歴史がなかったかと思います。

国民の教育レベルが高まれば自ずと民主主義的な価値観は出てくるのではないでしょうか。ところが、アラブ、イスラム諸国の場合は、教育が普及しなかったため、民主主義が育たず、政治はどこも独裁制か権威主義体制。政権は安定しているかもしれませんが、どこも民主主義的な体制とはいえません。ペルシア湾岸のイラクはどうしようもない状態ですし、今、イランもまた権威主義体制といえます。イランの場合はまがりなりにも政治的安定はありますが、決して民主主義とは言えません。自由な価値観を持っている国とは到底いえません。

加藤:ムスリムの国というのは、なかなか民主主義が根づかない。チュニジアはちょっとうまくいきそうな気配もありますが。民主主義を根づかせるためには、教育が鍵ということなのですね。

宮田:そう思います。チュニジアはなぜうまくいったかというと、地域的に範囲も狭く、国民も少ない小国ですから、警察力など比較的政府が目配りでき、政治的な安定を得やすかったという面が大きいと思います。ところが、エジプトやリビアなどは、あまりにも国が広すぎて、中央政府がしっかりしていないと地方が群雄割拠状態になってしまう。今のリビアがまさにそうです。ただ、チュニジアの場合、政治的に安定はしているけれども、イスラム国のメンバーとして外国人で最も多い3,000人ぐらいが行っているという話もあります。国内で活動できないからイラク、シリアに行って活動しているということなのでしょうか。もう一つ、何故チュニジアが政治的に安定するか、ですが、昔のベンアリ政権時代から、異様に警察官が多いことも要因ではないでしょうか。実際に昔、チュニジアに行ってそれを垣間見たこともあります。

加藤:私も昔取材でチュニジアに行ったことがあるのですが、少しでも不審なことがあると私服警官がすぐ飛んで来るんですね。「このお兄さんは誰なんだろう?」と思うと私服警官。

宮田:市民の間にも秘密警察が活動してますね。

加藤:カメラで色々撮ろうとすると、コーディネーターに「撮らないでください。あれは警察ですから、あそこにカメラを向けた瞬間に警官がとんで来ますから」と言われました。ベンアリの肖像写真に関しても、お店でも屋台でも皆さん掲げていて、そうしていないと「何でやってないんだ」と言われる。そういう世界でした。

宮田:イスラムの教えと違いますね、偶像崇拝もいいところです。

加藤:ものすごく締めつけが厳しかったですね。でもそれと同時に、ムスリムの国なのにあそこではお酒も飲めますし、発散することをうまく与えているという印象がありました。スポーツも振興していました。

片岡:少し話は変わりますが、イスラム社会の話は多くの日本人にはあまり親しみがわかないと言われています。貿易や外交で直接関わる人は別として、先生はどうしてその分野に興味を持たれたのですか?

宮田:やはり親の影響でしょう。私の父親がすごい読書家で、もともとは僧侶を志していました。家の中にはインド哲学とか仏教学とか、そういう本があふれていました。だから、小さいときからアジア文化の中で育ってきたということはきっかけとしてあると思います。自分でも、井上靖や、陳舜臣であるとか色々本を読み、とにかくアジア的なものを勉強したいと思って、慶應の文学部を受験しました。インド哲学や仏教学などを学びたいと思って慶應に入ったのですが、インド哲学や仏教学らしきものが文学部にはない。昔は今みたいに学部の詳細やカリキュラムなどは公開していませんから、入ってみてそれがわかった。(笑)

片岡:事前にネットでは調べられないですもんね。

宮田:当時ネットはもちろんないですし、どこを見ても文学部史学科の教授名なんか書いていないわけです。入った結果、やりたいことができないことがわかり、それならばと東洋史を学びました。インド史の教授はいなかったので、シルクロードやさらに西にあるペルシアやアラブ、そういったものを勉強してみたいと考えました。研究している人も少ないようですし、だからこそ勉強する価値があるのかなと思いました。慶應には、井筒俊彦というイスラム思想で世界的に著名な先生が昔おられ、前嶋信次先生というイスラム史の先駆的な研究者もいらっしゃった。慶應は、かつてイスラム研究では有名だったんです。その上で、ペルシア語やアラビア語などを勉強してみると、自分の新しい世界が開けていった感じがありました。

片岡:初めてイスラムの国に行かれたというのは、大学生のときですか、もっと前ですか?

宮田:いや、遅かったですね。当時すでにイラン革命が起きていて、イランには入れませんでした。仕方がないので大学時代に行ったのはインドでした。初めて行ったイスラムの国はイラン。自分の関心はイラン現代史で、慶應を出て、アメリカのUCLAに行きました。留学先をどこにしようかと考えるにあたり、イラン革命で数多くの著作を残したニッキー・ケディという女性の教授がいました。イラン史で有名な方です。願書をUCLAに出し、それが通ってUCLAでイランの現代史、特に1950年代の研究をしてきました。静岡県立大学の国際関係学部に勤めてみると、学生の関心は歴史にはないんです。特に国際関係学部の学生だと、やはり今、国際社会がどうなっているかの方が興味関心の対象であって、授業では時事問題が一番受けるわけです。ちょっと前の現代史でも受けません。今動いていること、テレビやニュースで扱っているようなことが、学生の関心をひく。その上、大学では1人で中東・アフリカという広い地域を担当するわけですが、何か基軸にしないと話のもっていきようもない。そこで思いついたのがイスラム原理主義という現象、あるいはパレスチナ問題ですとか、世界的な広がりをもつ国際問題を扱おう、と考えました。その他に、アメリカの中東政策や中東の宗派、民族の問題、四つの柱でもって、これまでもこれらのテーマで本を書いています。

あとやはり、私は愛国的な人間なのでしょうか。最終的には日本のためになることはいったい何か?と、イスラム世界を対象にしながら考えています。特にイスラム世界にある親日感情というものを大事にしなければいけないんじゃないかと。それが結局、日本の安全保障を高めることになる。日本人はこれだけのことしてくれたから、彼らにはまあ、優しくしようじゃないかみたいな、。そういう感情があるのではないかと考えています。特にイスラム社会に行くと感じますね。概して個人的にも、イスラム世界では不愉快な思いはしたことがないですし、アメリカに留学したときも、アラブ人とかイラン人の学生たちというのは非常に親切でしたね。それはイスラム世界の伝統なのかもしれないですが、欧米の学生たちはどっかさっぱりしたところがあるんですが、それに比べたら、アラブ人やイラン人というのは、「おお日本から中東を勉強しに、よく来てくれた」という感じで資料集めとか手伝ってくれたりしました。

片岡:アラブ諸国の方々の中には、親日家の人が多いと聞きますが、これはどこに根があるのでしょう?イラン革命の後もそうですが、アメリカに対する態度と日本に対する態度を比べると、中東は国家レベルではなく個人レベルでも日本人にシンパシーを感じてくれていると思います。

宮田:その通りだと思います。思うに、彼らが使う自動車や家電というのは圧倒的に日本製が多いからではないでしょうか。なおかつ性能がいいということも彼らは知っています。よく聞いたのは「世界で一番頭のいい民族というのは、日本人とドイツ人だ」と言うんですね。なぜドイツ人がいいのかなと考えると、ベンツとかBMWのイメージでしょうか。

加藤:そうですね、モノの品質がいい。

宮田:でも、それより、日本製品にふれる機会のほうがドイツ製品にふれる機会よりも多いんじゃないかという気がします。はるかにトヨタ車のほうが街にあふれていますし。

片岡:はい。至る所に日本製品が溢れてますね。

宮田:家電製品にしても彼らは、中国製品は安くて、よくないというのはよくわかっている。中国で作った日本製品はだめで、日本で作った日本製品じゃなきゃだめだって言うんです。日本人って頭のいい人たちだというイメージがあるようですね。

それともう一つ、向こうに住んでいる日本人たちのつき合い方も関係しているように思います。見ていると日本人は概して、向こうの人たちとのつき合い方がうまいですね。そこでもやっぱり評価が高まるわけです。例えば、湾岸戦争の前にイラクにいた駐在員がイラクを離れるとき、イラク人が「また戦争終わったらイラクに戻ってきてくれ。君たちは欧米人と違って、私たちを平等に扱ってくれた」ということを駐在員に言ったらしいんですよね。

片岡:そういう背景がベースにあるんですね。

宮田:また日本人というのは、非常に礼儀正しいですし、丁寧だというイメージもあります。私なんかはアメリカに行っても、まあ、お辞儀したりすると、彼らもまねしてお辞儀して挨拶してくれます。そういった日々の生活態度なのでしょうか。

片岡:今後、日本はどうイスラムの国々と関わっていくべきでしょう?

宮田:今の日本の政治家たちは非常に内向きです。何か外を見ていない感じがするんです。アルジェリアの独立戦争のとき、宇都宮徳馬氏が、彼はアルジェリアまで乗り込んで行って、アルジェリアの独立を支持すると言ったんですね。そういう国際的な問題意識をもった政治家が、今いないような気がします。だから、対イスラム世界の外交をどう組み立てていけばいいのか、そういうものが、何か日本の政治家たちに足りないんじゃないかという気がします。今は、たとえば、中東とのかかわりで名前が出てくるとしたら、小池百合子氏とかでしょうか。

片岡:カイロ大学を卒業されていましたね。

宮田:彼女くらいしか名前が挙がってこないです。途上国の問題に対して何かやってやろうとか、自分はこういうアイデアがありますとか、そういう発想が今の政治家にはないです。外務省のODAとか何かについては関心を持っているかもしれないけど。(笑)

片岡:利権ですね。(笑)

宮田:はい、利権絡みです。ただ、何か、自分の愛であるとか、理想や理念であるとか、そういったものを途上国に対して持っているような政治家たちって、恐らくいないんじゃないでしょうか。

私は彼らが今持っている、日本に対する良好な感情というものを大事にしたほうがいいと思います。もちろん日米安保を損なうような、弊害は避けなければなりません。イスラエルのガザ攻撃も支持する学者はもういません。やはり慎重にならなければいけないと思うんですね。例えば、イスラエルとの「防衛協力」をするとか、そういう話を今してるわけでしょ?イスラエルと防衛協力って、イスラムの世界から見れば印象は非常に悪いでしょう。何故そんなことをするのかなと思います。日本のテクノロジーがイスラエルの軍事力に使われ、子どもたちに犠牲が出るとなると、日本のイメージが損なわれます。でも、おそらくそれはまだニュースとして伝わってはいない。

1991年にシリアに行ったとき、向こうに留学している日本人に会ってヒアリングしたんです。当時、湾岸戦争への日本の取り組みは経済面に限られましたが、日本の外務省は国際協力として失敗で、日本外交の汚点であるみたいな捉え方をされていたけれども、イスラム世界から見たら、経済的な協力だけでよかったという声がかなりあの時期ありましたね。欧米からの視点と、イスラム世界からの視点で全然違う感じはします。ですからそのあたりのバランスをよく考える必要はあるでしょう。イスラムから「有り難う」と言われる関係は、重要だと思うんです。これを損なったら、日本の経済は立ち行かなくなります。うまくバランスを取りながら、日本の最大の国益を図っていくというのが、日本の外交のやり方だと思います。どちらか極端になる、あるいはアメリカだけに偏る、というのはやはりまずい。日本人の安全にもかかわってくる問題だと思うんですよね。

片岡:日本人はイスラムの国から何を学んでいくべきでしょう?

宮田:相互扶助の精神というものが日本では希薄になりつつあるように思いますが、まだむこうには親切とか、仲間意識みたいなものが残っているように思います。イスラムの宗教というよりは、共同体意識のようなものです。集団礼拝があってみんなで集まる。たとえば、犠牲祭のときに貧しい人たちに肉をわけたりする。昔の日本も外に開かれたスペースに住んでいて、誰が来てもウェルカムといった慣習がありました。客人が来たら歓迎するみたいなことがあったけど、何か今そういう機会がなかなかないですね。

加藤片岡        確かに。本日はありがとうございました。

 


撮影協力:カメラマン江口美穂(STUDIOーE)
PROFILE

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片岡 英彦   宮田 律   加藤 玲奈
Hidehiko Kataoka   Osamu Miyata   Rena Kato
企画家/コラムニスト
戦略PRプロデューサー
株式会社東京片岡英彦事務所
代表取締役
一般社団法人日本アドボカシー協会 代表理事
世界の医療団(認定NPO法人)
広報マネージャー
  現代イスラム研究センター
理事長
  国際NGO広報担当
元日本テレビ記者・キャスター
AAR Japan【難民を助ける会】
広報・支援者担当

現代イスラム研究センター
理事
1970年東京生まれ。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。

2013年「株式会社東京片岡英彦事務所」代表取締役、「一般社団法人日本アドボカシー協会」代表理事に就任。

企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加、フランス・パリに本部を持つ国際NGO「世界の医療団」の広報責任者を務める。
  1955年山梨県甲府市に生まれる。1983年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)大学院歴史学科修士課程修了。現代イスラム研究センター理事長。現代イスラム政治研究・イラン政治史を専門とし、イスラム過激派の活動およびイデオロギーの解明をテーマに数々のイスラム国・地域を取材している。

主な著書に『現代イスラムの潮流』(集英社新書)、『イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか』(新潮新書)、『世界を標的化するイスラム過激派』(KADOKAWA one テーマ21)、『イスラム 中国への抵抗論理』(イースト新書)、最新刊に『アメリカはイスラム国に勝てない』PHP研究所 (2015/1/16)がある。
  1970年東京生まれ。 慶應義塾大学卒業後、日本テレビ入社。報道局で記者として、社会部で警視庁を、政治部では首相官邸や外務省を担当。ニュース番組のディレクターとして2001年の同時多発テロ発生直後、米国やパキスタンで取材。英国ダラム大学大学院で国際関係学修士号を取得後、外報部デスクとして勤務する傍ら、朝の情報番組でニュースコーナー担当キャスターを務める。

日本テレビを退職後、パリとロンドンに合計約4年間滞在し、2014年帰国。 かつて取材で訪れた難民キャンプの光景が忘れられず、また英国でボランティアをした経験から国際協力に関わる仕事がしたいと思い立ち、現在は日本生まれの国際NGO、AAR Japan【難民を助ける会】で広報・支援者担当。 

 

2015/02/09


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