■ コンサルティング談 #12

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■ コンサルティング談 #12

企業の応急処置から根治治療のご支援を手掛けて

企業の応急処置から根治治療のご支援を手掛けて

第12回のゲスト・藤村典子さんは、支援機関のコーディネーターから仕事を広げ、現在は企業顧問や事業再生・経営改善案件を中心にご活躍の中小企業診断士です。行動力という言葉はこの人のためにあったのかと思うほど、パワフルな藤村さん。仕事に子育てに趣味にと大忙しの日々について、楽しく語っていただきました。
学習塾勤務から中小企業診断士になるまで
藤村:私、独立するまでが安直なんです。大学を卒業して学習塾で働き始めましたが、塾は午後から夜の仕事だったため、昼間に働きたくて…。

働いているうちに経営にも興味を持ち、そのときの自分には数値の知識が不足していたため、それなら会計事務所に就職すればいいと、簿記くらいは勉強しましたが、軽い気持ちで入所しました。

平井:ずいぶんと畑が変わりましたね。

藤村:税務会計の担当者として、客先に月に 1、2回伺って情報をチェックし、決算書を作るところまでやっていましたが、私、全然数字が合わせられなかったんですよ。

仕事が肌にも合わなかったし、計算も合わなかった(笑)。ドラフトができた時点で先輩にチェックを受け、その後、所長が確認するのですが、付箋が30枚くらいついて戻ってきていました。

平井:そこから、どうしてコンサルティングの道に進まれたのですか。

藤村:勤めていた会計事務所は、従業員十数名の個人事務所ながら、税務部門以外にコンサルティング部門があったんです。その部門で働く先輩を見ながら、私には出来上がった数字をどう活かしていくかを考えるほうが合ってるんじゃないかと思い始めました。

実際に税務担当者として社長の所へ伺っても、20代の若い姉ちゃんという印象なのか、伝えるための説得力に欠けるんです。自分の理論が足りていないこともあるけれど、何か箔を付けなければならないという気持ちがありました。

平井:それで、中小企業診断士資格を知ったのですね。

藤村:はい。勉強を始めたのが27歳のときです。2年半で中小企業診断士資格を取りました。

ゲスト:藤村 典子氏
人生の転機
平井:その後、すぐに独立されたのですか。

藤村:自分の結婚の時期が重なり、栃木から神奈川に引っ越すことになりました。のんびりする意味も含め、フリーランスになったんです。新婚で家のこともあるため、転職はせず、何となく始めた感じです。ですから、実務補習も神奈川で受けました。

平井:先々の不安はありませんでしたか。

藤村:新婚でしたから…。そのときには、「これ 1本でやっていく!」みたいなものはなく、「働くなら就職すればいい」くらいの気持ちでした。でも、専業主婦は無理だろうと薄々わかっていたんです。常に動いていたいタイプなので。

でも、就職先をいま決めなくてもいいだろうし、資格もあるので、それで動いてみて難しければ働いたらいいんじゃないかと、かなり軽い気持ちでした。

最初は、実務補習の仲間からさまざまな情報をいただいて、リサーチ系の仕事をしたり、セミナー講師をしたりと、少しずつやっていました。しゃべる仕事は、元々塾講師なので、得意かどうかは別ですが、苦にはなりませんでした。ですから、 1人目の子が産まれる独立して 2年半くらいまでは、ダラダラと仕事をしていました。

平井:1人目が産まれたことと関係がおありなんですか。

藤村:子どもを保育園に預けるには、働いていないといけません。保育園に預けないと、幼稚園に行かなきゃいけないでしょう?ママ友なんかを作るのは苦手だから、何としても保育園に預けるために働かなければ、と思い始めたんです。

それで、それからはコンスタントに仕事をもらえるように筋道をつけたり、産休で休んでる間に翌年の仕事もお願いして、仕事が続くように考えました。子育て問題で背中を押されたというのが正直なところです。

平井:すごいきっかけですね。

藤村:もう少し本格的に仕事をしなければというときに、地域力連携の仕事が入ってきたんです。週に2、3日拘束の仕事は、そもそも仕事がバッチリある人には不可能ですからね。私にはタイミングがよくて、バシッとはまりました。

8ヵ所拠点があったうちの2ヵ所のコーディネーターをして、これでフルタイムで働ける形になりました。地域力連携拠点事業、応援センター事業、ネットワークアドバイザー事業、1年飛ばしての2014年からの神奈川県よろず支援拠点のコーディネーター事業で、コーディネート業務を通算8年やっています。

インタビュアー:平井彩子
前さばきのプロになるまで
藤村:コーディネート業務というのは、企業の悩みがあると呼ばれて「前さばき」を行うところです。企業がどんな状況なのか、何を悩んでいるのかを聞いて、その課題の中で緊急かつ重要な箇所を指摘します。そして、要所を押さえて応急処置をするために、専門家のマッチングを行います。

フォローアップに関しては私が受け持ちますので、前さばきと進捗管理とフォローアップが主な仕事です。1年間で複数回行く企業もありますが、延べ150回くらいは訪問しています。

神奈川は広いですから、相模原から三浦半島、足柄まで行っています。おかげで、神奈川の地域を広く知ることができましたし、地域の業界特性もわかり、さまざまな支援機関、金融機関や商工会議所と出会うことも多くなりました。これが自分の中で大きな財産になったんです。

平井:最初は難しかったのではないですか。

藤村:はい。「はじめまして」で始まって、1~2時間で「あなたの会社の急所はここです」というところまで持っていくんですが、最初は話を先に進めることが全然できませんでした。すべて網羅的に聞こうとしてしまうんですね。そのときは、自分でもオチがまったく見えていないのがわかりました。

時間も限られていますから、話を聞いて当たりをつけながら、仮説と検証をしていくことが大事になります。社長さんがモヤッとしているものを整理してあげて、私はよく「鉈で」と言うんですが、鉈でザザザーッと枝打ちしている感じで、「ここがこうですね。いまはどう考えても、ここがネックじゃないですか?」と話をすると、「なるほど」となるんです。

平井:刺さる質問ができるようになってきたということですか。

藤村:そうですね。相手にとって耳の痛い話だろうなということも、早めの段階でサラッと聞けるようになりました。「いつ資金がショートしそうですか?」なんて、初めはとても聞けませんでしたから。

肝心なことを聞かずに、教科書的に「資金繰り表は?」などと順序立てて聞いていると、結果、内容のない時間になってしまいます。

相手の様子を見ながら、「せっかく、そこまで腹を割ってお話しいただけたので、こちらも聞いてしまいますが…」と切り出して、深い話にまで展開できるようになりました。

平井:武器を身につけましたね。

藤村:最初は「あなたに何がわかるの?」とよく言われました。会計事務所出身ですから、会計以外に専門性がないことにコンプレックスを感じていました。

いまでも、「あなた、うちの業界のことを何もわかってないでしょ」と言われますが、いまは「もちろんです。それは、社長が一番わかっているに決まっていますよ。けれど、一番業界に精通している社長がいまダメなんですよね?さまざまな悩みを抱えているときに、外から見る人間がいる機会があってもいいんですよ。社長は業界のプロ、私は経営を見ることに関してはプロですから、その視点でお話を聞いていただきたいと思います」と言えるようになりました。
0を1にするところから広げた仕事
平井:長いコーディネート業務で、多くのスキルを身につけたと思いますが、専門性についてはどのようにお考えですか。

藤村:私は、独立後に専門性を身につけたタイプです。何をやるにしても、たたき台を作るのは自分の役目と考え、手を挙げ続けて仕事を得るようにしました。

ほかの方は大先輩の中小企業診断士ばかりでしたし、手が挙がらないだろうから、私が挙げようと。実業家の堀江貴文氏の言うところの「0を1にする」という仕事は、なかなか難しいですよね。上がってきたものがクライアントの期待に応えられているかどうか、わからないですから。

だからこそ、ほかの人がやらないことは私の仕事にしようと思っていました。いまとなっては、その分野が私の専門性になっています。

平井:社会福祉法人へのコンサルティングやプライバシーマーク案件なども、そうですか。

藤村:はい。そのほか、神奈川には小田原・箱根がありますので、飲食・宿泊業のコンサルティング・ノウハウもずいぶんと増えました。

こういうチャレンジも、若かったことがプラスに働いているんだと思います。たくさんの方に協力していただき、おかげで神奈川県内を中心に人脈も広がりました。

全国の商工会や商工会議所が、3年前くらいから国の方針に基づいてそれぞれにマスタープランを作成し、地域活性化のための取組を進めています。私も、神奈川県内で広がった人脈を通して、セミナーの企画運営、個社支援など商工会の取組をサポートしています。

また、昨年までの4年間、神奈川県中小企業診断協会の理事を務めていた中で、金融機関を回る機会に恵まれ、それを機に事業再生支援・経営改善支援を手がけるようになりました。

今まで「前さばき」で鉈を振っていましたが、深いところにまで踏み込むようになり始めました。再生・経営改善支援は、長期間企業と向き合う業務です。企業が日々抱える問題の解決を支援し続けていく中で、企業とコンサルタント間の結びつきが強いほうが、支援の効果が高いと気づきました。

仲間と2年前にコンサルティング会社も設立し、現在は、企業と顧問契約を結ぶことが増えています。企業と長期に関わる顧問業務はコンサルタントとして非常にやりがいのある業務です。効率よく企業支援を進めるための体制づくりが、今の弊社の課題となっています。
仕事に子育てに趣味に
平井:子育てもあり、忙しかったのでは。

藤村:基本的には、19時には子どもを迎えに行かなくてはなりませんので、神奈川からはあまり出ないようにしています。

両立しているというよりも、18時半までは仕事、18時半から22時までは子育てと決めているんです。22時くらいに子どもとともに寝て、3時~4時に起きて仕事をします。もともと、よく寝るタイプでしたが、必要に迫られて朝型になりました。

あと、趣味のボディーボードは、独立した直後から続けています。住まいが藤沢で、海も近いですからね。15時くらいまでに昼間の案件を終わらせて家に帰り、迎えに行くまでの間にちょっと波に乗りに行きます。2週間に1度は行きたいので、一生懸命にスケジュールをやりくりしています。

平井:仕事に子育てに、余計に疲れてしまいそうですが。

藤村:仕事の疲れを遊びの疲れで取っていますね。最近、現実逃避のように趣味が増え始めて、数年前から子どもと同時にピアノを習い始めたり、バイクの中型免許を取ったり…。人生の半分まで来たから、「やること、やっとかなきゃ!」という思いです。

平井:とても充実した日々ですね。

藤村:はい、仕事もプライベートもすごく楽しいです。子どもも小さいながらに仕事を理解してくれていて、「お仕事で今日は大変なの?」と声をかけてくれたり、土日も「夕方からお母さんいないけど…」と言えば、「ああ、仕事なの。じゃあね」と勝手に遊んでいてくれたりします。

もちろん、寂しそうなときは、一緒に出かけるようにもしています。申し訳ないという気持ちは、あまり持たないようにしているんです。
今後の挑戦
平井:今後、挑戦したいことはおありですか。

藤村:弊社の企業顧問の支援体制が固まってきたら、ビジネスパートナーにお任せし、私はコンサルタントの仕事を少し絞って、自分で別事業をやろうと思っています。

もともと子どもの教育にすごく興味があって、「塾であんなに柔らかかった小学生の頭が、どうして大人になると固くなるのか。柔らかいまま大人になったら、面白い大人になるのに…」という思いがあったので、柔らかい頭を持続する機会の提供をやってみたいと思っています。

平井:コンサルタントとしても柔らかい頭は大事ですよね。具体的にはどのようなことをされるのですか。

藤村:簡単に言うと塾なんですが、学校の勉強以外の雑学しか教えないようなものを考えています。経営の話をしてもいいし、機械の話をしてもいいし、多少は体系立たせるつもりですが、コンテンツとしてはそれぞれ違うものを100くらい用意して、それを組み合わせていきたいと思っています。

ニュースで聞くこととは異なる国際情勢の話などもいいですね。とにかく、学校とは違う切り口で物を見ることをしてほしいんです。

平井:学校教育とは違うことをやるのは、面白そうですね。実現を楽しみにしています。
藤村 典子
中小企業診断士
株式会社ウィステリア 代表取締役

筑波大学卒業後、学習塾に勤めた後、藤沼会計事務所に入所。監査業務、企業コンサルティングでは、主に小売・サービス業を担当。2004年に中小企業診断士として独立。地域力連携拠点事業応援コーディネーター、神奈川県よろず支援拠点コーディネーターなどのほか、経営革新支援や事業再生・経営改善支援などにも携わる。

株式会社ウィステリア
HP: http://wisterias.co.jp/
平井 彩子
中小企業診断士
平井彩子事務所 代表

独立系ソフトウエア開発会社でプロジェクトマネージャを担当。証券会社向け、ベンチャーキャピタル向けシステム等、金融機関向け業務システムの構築現場を数多く経験。2010年からは、中小企業向け経営改善をメインとするコンサルティング会社に勤務し、会計業務支援、資金繰り改善、事業計画策等を担当。2012 年平井彩子事務所を設立し、コンサルタントとして独立。人材育成を中心に、業務改善、システム構築支援など、現場が自分たちの力で実行する仕組みづくりから支援を行っている。
FB: saiko.hirai
2017年9月/撮影協力:わたなべりょう

2017/09/11


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