■ コンサルティング談 #16

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■ コンサルティング談 #16

公務員から会社員、そして中小企業診断士として事業再生の世界へ

公務員から会社員、そして中小企業診断士として事業再生の世界へ

第16回のゲスト・井川和美さんは、公務員から会社員へ、さらに長年勤められた会社を退職し、中小企業診断士の世界へ飛び込んだ方です。勇気ある飛び出し方は、大変興味深いものでした。これまでのキャリア、独立中小企業診断士としての仕事の広げ方、今後の展望まで、多岐にわたり語っていただきました。
公務員から会社員、そして中小企業診断士へ
平井:キャリアの始まりが佐世保市役所と、公務員からのスタートとは珍しいですね。

井川:公から民に移るのは、珍しいですよね。辞めるときには「逆だろ」と言われました(笑)。

佐世保市役所では、情報システム部門に配属になりました。市役所には 5年弱おりました。ちょうど大きなシステム導入が続いた過渡期でしたので、職員でも数多くのプログラムを任せてもらえました。

そのうちにシステムの世界が大変おもしろくて興味が非常に湧いてきたのです。公務員には異動がつきものですので、もっとプログラムを組んでいたいとの強い思いから、一念発起して富士通ビー・エス・シーに転職しました。ただ、転職後にはプログラムは 2~ 3本しか作ることができませんでしたが。

平井:転職先では、どのような仕事に携わっていましたか。

井川:一番長く携わったのは、通信事業者向け基幹業務システム開発とシステムの提案営業です。現場の泥臭さもわかりながら、営業経験もあるというのは珍しい経歴なので、自身の強みであり、現在の仕事に役立っているところだと思っています。

平井:かなり忙しいときもあったのでは。

井川:いつも時間に追われていました。プロジェクトが始まれば、終電で帰る日が続き、徹夜になることもありました。最初のころは、早朝、家に帰って着替えて出社したのですが、そのうち睡眠時間確保の優先度が高くなり、オフィスの床で寝るほどでした。

平井:それは、相当大変でしたね。でも、充実していたのでしょう。

井川:はい、仕事は大好きでした。しかし、なんとなく以前ほど仕事にのめり込めなくなったと思っていたとき、会社帰りに立ち寄った本屋で中小企業診断士の資格を知りました。

「これは今からでもチャレンジできる。これまでの経験が生かせる!」と目の前がパーッと明るくなったのです。勉強を始めてみるととてもおもしろく、「頑張って企業の役に立ちたい!」とあとは猪突猛進です(笑)。

これまで会社中心だったコミュニティがほかの仲間に広がり、考え方がすごく開かれて元気が出て、力をもらえたことも大きかったです。中小企業診断士受験は、自己啓発とか自己研鑽とかではなく、独立して活動していくと心に決めてのものでした。

ゲスト:井川 和美氏
紹介が紹介を生み、仕事の広がりへ
平井:晴れて独立中小企業診断士として歩み出されたわけですが、いかがでしたでしょうか。

井川:独立当初は、実績がないことがどれだけ大変なのかを知りました。経歴書を出せと言われるのが嫌で、非常に苦労しましたね。

今は生産現場~営業までをアピールポイントの1つにしていますが、当時は専門性の絞り込みが必要という先輩からのアドバイスを受けて非常に悩みました。

また、経歴から専門性を ITと捉えられることが多かったのですが、 ITは課題解決の手段であり、中小企業支援の入口にはなり得ないことや、中小企業の IT支援というとホームページ支援などのフロントエンドシステムを想起されることが多いため、「ITの専門家」という色を抑えようと必死でした。営業経験を前面に出したりしましたね。

実績を積む契機になったのは、「経営力向上 TOKYOプロジェクト」でした。経営診断の経験と実績を積むことができ、その後の仕事の広がりのきっかけになりました。港区の窓口相談の仕事もあり、制度融資の仕組みも、そこで勉強させてもらいました。

平井:独立以後、仕事内容の変化はありますか。

井川:最初はスポットの仕事が多かったのですが、2年目くらいからご縁をいただいた企業との顧問契約やシステム企画などのまとまった仕事をいただけるようになって、少し落ち着いてきました。

そんなときに、実務補習のときのメンバーから事業 DDをやってみないかと声掛けをいただき、そこから事業再生の仕事にかかわるようになりました。

その後、金融機関からの依頼で経営改善計画策定や計画遂行のための実行支援を請け負うことが多くなってきました。

平井:苦労している会社を多数見られたのでは。

井川:最初の2、3年で100社は超えたと思います。実績ゼロを 1に押し上げるのはとても大変でしたが、全力で取り組むことで徐々に紹介が増えるようになりました。

平井:それは、業界でのご紹介と再生という支援分野でのご紹介のどちらでしょう。

井川:支援分野のほうですね。再生計画や改善計画を作ったことがあることで、ご紹介いただくケースです。また、その後も継続的な支援の依頼を受けて、顧問契約を結ぶこともあり、契約形態も変わってきました。

インタビュアー:平井 彩子
多くの企業を見て気づく今後の支援の在り方、そして地元貢献
平井:生のエピソードなど印象に残ったお話をお聞かせください。

井川:事業再生で初めてかかわった企業は、支援していく中で自分自身も成長させてもらった、今後も忘れられない企業です。この企業の実行支援では、経営改善のためにプチ「 IT経営」を取り入れました。

具体的には、製品単品での採算管理を行えるように Excelを使った仕組みを構築しました。ここで得られたデータを活用して分析を行い、営業戦略や生産管理へのアドバイスを実践しました。

最初、60歳代の社長は ITに対する苦手意識満載で携帯メールしか使えなかったのですが、パソコンのメールにトライし、 Excelの帳票入力などもできるようになり、どんどん変化されていきました。

切り口を変えながら多角的な分析結果を継続して提示していくと、そのうちに社長や従業員からもさまざまな意見が出るようになりました。データにより今まで見えていなかった問題点が見えたり、それを改善して利益が出せるようになったり、値上げ交渉につながったりもして、今は業績も好調です。

再生だけではなく、我々の支援は、企業側にどれだけ実行していただくかが大きいと思います。素直に愚直に取り組んでいただけたこの社長にはとても感謝しています。

また先日、 5年ほど前に支援していた企業に久しぶりにお邪魔したのですが、当時作成した売上管理のツールをまだ使用されていてとても感動しました。やはり Excelを使って、毎日の目標と実績を自動的にグラフ化する、いわゆる「見える化」するものですが、しっかりと活用されて売上増を達成されていました。

平井:優良企業にも何らかの支援で携わったことがあると思いますが、そういう会社は今まで支援していた苦しい企業とはどのように違いましたか。

井川:私は、やはり「組織力」の違いを感じました。社長を補佐する右腕がいて、何らかの組織体制が敷かれています。また、業界のことをよく知り、どこにチャンスがあるかを探していて、先に先に仕掛けています。

ワンマン経営は規模によって良いときと悪いときに分かれます。規模も大きければ良いというわけではありませんが、従業員が100名を超えると動ける人数が変わるので違いは明確ですね。十数名規模の小規模企業だと、圧倒的に社長のパーソナリティに左右されます。

平井:そうですね。従業員30~40名程度が境界線だと思います。その人数を越えるとミドルマネジメントが機能しなければ組織運営が難しくなりますね。

井川:そのような気がします。従業員10名未満だと、できることが限られ、支援内容も難しくなります。日々の業務に追われて、改善どころではありません。

そういう意味では外部の専門家が「民民」の契約で支援できる規模も、適正な規模があるのではと最近考えています。小規模事業者に対して、今後どういう支援ができるかを別に考えなくてはいけないと思います。

平井:もしかしたら、私たちが1対1で支援をしていくよりは、中小企業のネットワークがあると良いのかもしれませんね。適度に情報交換・情報共有をする場のほうが大事なのではと、今聞いていて気づきました。

井川:そうなのです。地方は特に中小企業診断士も少ないですし、支援も手厚くできる形態にはなっていないところも多いと思います。

まだ思いつきレベルですが、地元の経営者を集めて、経営塾のような場を作れたらいいなと先々の希望として考えています。

地方出身ということもあり、地元貢献という思いはあります。今は ITが進展しているとはいえ、それでも情報が遅いと思います。
のびのびと仕事ができる楽しさ
平井:充実した生活を送られているように見えます。独立して良かったでしょうか。

井川:仕事に波があるのは当たり前ですが、仕事の押しつけられ感がないのが良いですね。すべて自分が選んだ仕事ですから。

大変なことはあるにせよ、会社員時代のストレスはなく、のびのびと仕事ができています。もう会社員には戻れませんね。まして、市役所にはさらに戻れません(笑)。

平井:再生の世界は、大変なことも多いと思いますが、どのような気持ちで仕事に向き合っているのでしょうか。

井川:再生支援の世界は、財務を担当する公認会計士や税理士などの女性はいらっしゃいますが、事業を担当する女性は少ないですね。

そのため、私が再生支援に携わっていると話すと、「なぜそちらをやっているのですか?」と言われることがあります。

創業支援のほうが夢があると比較してのことですが、再生を余儀なくされている企業にも、少なからず良かった時期があるのです。

今の状況はともかく、一旗揚げられた社長さんには、リスペクトするところがあります。ここまで会社を作り上げてきた人、今まで守ってきた人です。

だからこそ何とか力になりたいとの思いを胸に真剣に向き合っています。それが、仕事に向き合う気持ちやその先の喜びにつながるのだと思います。
今以上に中小企業のお役に立ちたい
平井:今後の展望をお聞かせください。

井川:ガッチリと企業に入り込んで、企業の業績アップにこだわった支援をしたいと考えています。今以上に中小企業のお役に立てるように、自分自身鍛錬していきたいです。

ちょうど今、志を同じくする人たちとチームでの支援スキームに取り組み始めました。中小企業診断士は 1人ですべてを網羅的に支援することが必要ですが、せっかくさまざまな専門知識を持つ人がいるのだから、それぞれの得意分野を補完し合ってより良い支援を行おうというものです。

三人寄れば文殊の知恵と言いますし、より企業への提供価値を高められればと思っています。

平井:働き方のスタイルに希望はありますか。

井川:特にはありません。結構体力はあると思います。スポーツも特にしていなくて、年に一度ゴルフに行く程度ですが、いたって健康です。

それから、お酒が大好きで、基本的に何でも飲みます。仕事が終わった後に「プシュッ!」とするのが日課で、至福の時です(笑)。

気分転換には温泉旅行が一番です。ですから、このまま健康で楽しく仕事をしながら、美味しいお酒が飲めて、温泉旅行でリフレッシュする生活ができることが一番ですね。

平井:良いですね! とても共感します。

井川:独立中小企業診断士の女性は、サバサバしている方が多く、皆さん楽しくすてきな方が多くて、嬉しいですね。

平井:それでは、最後に一言お願いします。

井川:まだ先になると思いますが、地元長崎でも仕事がしたいですね。地元への貢献は、私の将来のビジョンの 1つです。
井川 和美
中小企業診断士
井川和美コンサルティングオフィス 代表

中小企業診断士、中小企業事業再生マネジャー。井川和美コンサルティングオフィス代表。佐世保市役所勤務を経て、株式会社富士通ビー・エス・シーに入社。基幹業務システム構築のプロジェクトマネジャー、コンサルティング業務、新規商談提案営業などに従事し、業務改善提案、IT企画、プロジェクト運営、メンバーの育成などに携わる。2011年4月、経営コンサルタントとして独立開業。現在は、事業再生・経営改善計画策定および実行支援、マーケティング企画策定支援を中心に活動中。
平井 彩子
中小企業診断士
平井彩子事務所 代表

独立系ソフトウエア開発会社でプロジェクトマネージャを担当。証券会社向け、ベンチャーキャピタル向けシステム等、金融機関向け業務システムの構築現場を数多く経験。2010年からは、中小企業向け経営改善をメインとするコンサルティング会社に勤務し、会計業務支援、資金繰り改善、事業計画策等を担当。2012 年平井彩子事務所を設立し、コンサルタントとして独立。人材育成を中心に、業務改善、システム構築支援など、現場が自分たちの力で実行する仕組みづくりから支援を行っている。
FB: saiko.hirai
2017年11月/撮影協力:わたなべりょう

2017/11/14


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