■ INNOVATION #04

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■ INNOVATION #04

インターモダルの視点を考える vol.2

園山氏:ええ。持ってくる貨物が無いわけなんですね。それなら、オリエント持ってくれば良いじゃないかという発想からAPLと連携してやろうということになったのです。

1964年に初めて香港から先述したクリスマスオーナメントが輸送された3年後、1967年に日本からサービスを開始いたしました。サービス開始と同時期に貨物部署ができ、担当部長と私が入社しました。

岩本氏:本当のスタートからだったんですね。

園山氏:ええ。ですから上司はもともとが貨物業界にいた人なので、いつもセールスに国内外を奔走していました。オフィスにいるのはいつも私ひとり。電話にでましても、「男の人いない?」と言われる時代でしたけれど(笑)

岩本氏:今ですと大変なことになりますね(笑)

園山氏:貨物を通関したり書類を作ったりする航空代理店(フォワーダー)というのが中間に必ず入りますが、その方々たちも全くわからないものですから、荷主さんが皆、直接電話をかけてきては、「なんかこんなL/Cもらったけれど、何のことなの?」って。

今はもうフォワーダーが荷主さんと全部取引しますから、エアラインが連絡するのを嫌がるんですよ。当時はわかる方がいらっしゃらなかったので、その役割を全部私たちがしていました。それが私の利点になったんでしょうね。

岩本氏:そうでらしたのですね。

園山氏:ですが自分も解らないことも多くて、会社のマニュアルも新サービスについてはほとんどなくて、手探りでしたし、本社にいちいち問い合わせてと大変でした。
岩本氏:私も銀行に入って一番最初に新人研修で習ったのがL/Cだったんですが、それぐらい銀行業務の基礎とされてまして、実際の業務では、何月何日だから日数が何日分、金利はこれといった具合に、かなり厳密に利息計算なんかもしました。

園山氏:利息は半分で済みますし、倉庫代もセーブできますよとお客様に説明するんですが、倉庫に寝かせている間を船で動かすという発想もできる。

ちょうどスエズ運河の閉鎖があった際に、パナマ経由で50日を越える航路しかなかった時代があり、「SEA&AIR輸送」の誕生があったと思いますね。太平洋を北米西海岸に船で、北米大陸を空路で横断、東海岸から船舶に代わって航空輸送すれば総輸送の短縮につながる輸送手段になると考案されたのだと思います。世界を丸くみて知識を得てきたんだと思いますね。

岩本氏:なるほど。やはりピンチを活かすということなんですね。

園山氏:世界では必ず何かは起きる。でもそこで物流を留めることはできないですから、どうして動かせるかと皆が考える。そこで必ず知恵者が出てくるんですね。

岩本氏:政治的な事で滞ったとしても、必ず民間の経済活動で風穴が開くと。

園山氏:お客様に届けることが物流の目的なのでそれを止めちゃいけない。また荷主さんも、作ったものをそこに留められてはお金にならないわけですから。

岩本氏:経済の本質ですね。
園山氏:物流と経済、あと産業の動向によって変わってくることが、毎日の仕事のなかでだんだん解ってきました。

岩本氏:そうですね。日本も最初は雑貨類だったかと思いますが、時代を経ていくごとに変わってきたのではないですか?

園山氏:ええ。自動車部品やソニーのウォークマンやビデオデッキなどのつぎつぎとヒット商品が増えましたね。最初は航空輸送で動きます。それがだんだん海上輸送になっていきました。またそのころは大量生産、重厚長大の時ですから、B747といった大型の飛行機が開発されて、大量の人や貨物を動かしていました。やはりみんな時代と繋がってるんですね。

岩本氏:モノや人をどう運ぶかの発想で、いろんなものが開発されていくんですね。

園山氏:ええ。1969年にコンテナ船が太平洋を就航することになって、コンテナに貨物を入れるようになったのですが、エアカナダの顧客貨物がハッチのあっちこっちに積み込まれて、バンクーバーのシアトルに着いたら右往左往するんですね。そこでエアカナダの顧客貨物を全部まとめてコンテナに入れるほうが効率がいいんじゃないかと。 つまりお客様から貨物を、港にあるエアカナダの上屋に持ってきてもらって、コンテナに全部つめて、エアカナダの貨物として船会社さんに渡す。いわゆるバンニングサービスができたんです。

岩本氏:なるほど。
園山氏:その頃は運賃同盟があってバラバラの料金だったんですが、一つのコンテナにはいっているものは統一料金を適応してくれないかと船社にお願いしたんですね。今で言うシー・ワイ コンテナ料金なんですが、エアカナダが船会社からFAK(Freight All Kind)レートを運賃同盟に認可してもらって、それを荷主さんにキロ当たりで売りました。

コモディティ(品目料金)ではなく1kgいくらと。B/Lも1件1件ではなく一つにまとめて処理しますので、船会社さんの手作業も少なくて済むんです。港でバラして数えていたのを、そのままコンテナ単位で空港に引っ張ってきますから、バンクーバーでの作業が楽なわけです。

そうした知恵がだんだん出てきまして、それが正式なエアカナダ シー・ワイ貨物として広がりました。1972年~77年ごろは一番盛んで、最高が1回の船で20FT コンテナが18本くらいでしたね。丁度、エアカナダの貨物機(DC8)、3機分に相当する量の貨物です。そうすると港にずらーっと並びますから、よくマネージャーは喜んでいましたね。

岩本氏:すごいですね。

園山氏:そうするとやっぱり港でも幅が効くんですよね(笑)これは船で着いてもトランジットの貨物だから早くおろせとか(笑)

岩本氏:(笑)

園山氏:空港でもずらーっと並びますから、それを皆で悦にいって見てました。日本の経済や景気の推移が直に感じとれました。

岩本氏:まさに皮膚感覚なんでしょうね。

園山氏:同じ荷主さんから大量に貨物が送られてくると、これからこういうものが売れるのかとわかりますね。

岩本氏:時代の先を読めることになる。

園山氏:大量生産の時代から、日本の携帯や小型カメラ、ゲームなどにだんだん変わってきたり、あとオイルが高くなったり安くなったりする毎に貨物も変わってきますね。

岩本氏:資源価格も関連してきますね。

2013/11/04


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