■ INNOVATION #04

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■ INNOVATION #04

インターモダルの視点を考える vol.3

園山氏:あとは為替で貨物の内容も変わってきます。

岩本氏:1971年は金本位制が停止されて、為替レートも随分変わりました。

園山氏:当時は全部USドル建てだったんですが、為替は毎日変わりますから、お客様にも今週はこうですと、やっぱり為替にも敏感になっていましたね。

岩本氏:敏感にならざるを得ないですよね。ニクソンショック直後は日本国内は円高になることを非常に恐れいましたけれど、その後オイルショックになり、結局エネルギーの輸入価格の高騰を抑制できたという点で日本にとっては良かったんだろうなと思います。

園山氏:オイルショックになりましたけど、結局運ぶ貨物もだんだん小型化でになっていました。業界では、軽薄短小と表現していました。そのあと中東にオイルマネーが流れて、ものすごくいろんなものが日本から買われました。エアカナダはSea/Airチャーター便をバンクーバーからラゴス向けに34機運航しました。

岩本氏:経済的ショックを乗り越えるために 物流が時代の先端をいくというのは面白いですね。

園山氏:そうですね。また、ラオスで革命が起きた際、飛行機が着陸できなくなって、一旦ダッカへ戻って、そこから私に電話が掛かってきたんですね。

日本の貨物を積んでいるんだけど、貨物をどうしたらいいか荷主に聞いてくれと。でもそれが夜中の2時くらいでしたが、翌朝テレビを見ましたら革命が起きたことを知りました。

岩本氏:まだテレビでニュースとして出る前の段階だったんですね。

園山氏:ええそうですね。私が30代の前半の頃でしたかしら。そんなエキサイティングなことも経験いたしました。その頃は入社して7年くらい経っていましたから、一応全般的に絵が描けるようになっていたこともあって、面白かったですね。

また常に荷主さんとお話ができる楽しさもありましたね。荷主さんからいろんな質問が来るから答えを探す、探すから知識ができてくる。毎回違う質問が来る面白さですね。
当時本社とのコミュニケーションといえば電話か電報しかなかったので、電報局に走っていっては電報を打つ。もしくは電話で何でも聞く。ですから毎日遅くまで働いて、土日も出ることも多かったです。

岩本氏:それだけ仕事が楽しかったんでしょうね。

園山氏:日々山のように仕事がありましたね。よく船会社の担当の方や代理店の方たちが来てくださってたのですけど、あそこに行けばお茶がでるよと言われてまして(笑)

でもお茶を出しながら、わからない事を彼らから聞き出してました。業界の動きや、経済、日本の産業、また世界の動きというものを、なんとなく肌で感じていましたね。

皆さん物流と経済が密着しているとはあまりお感じにならないかもしれないですけれど、上屋に入っている貨物を見れば、今どういう動きがあるのかとか、どちら方面が多くなってるかがわかりますね。

岩本氏:ほんとうにそうですね。物流は実態経済に即した動きがわかるんですね。

園山氏:今からはリチウム電池のような危険品ですね。飛行機も軽量化になって樹脂が使われていますから、発火の危険性も高いですし、デジタル化で輸送が難しい。でもリチウム電池などはデンシティも高いので効率がいい貨物なんですね。

また他の化学品や医療関係の貨物も非常に難しく、人工臓器を送る際の運び方詰め方、通関でのやり取りの仕方などもあります。日々新しい規則も出来てきて、そういう危険品や特殊品を扱う専門会社も出てきています。

岩本氏:業界の背景があって、時代と共に新たなニーズも生まれてくるんでしょうね。

園山氏:やはりテロによってアメリカでの規制が大きくなりましたから、しっかり水際で締めていくためにも、すべての貨物の事前通告などいろいろな書式もあって、荷主さんも大変です。
岩本氏:話は変わりますが、北九州空港をコーディネートされたと伺ったのですが、空港をコーディネートするということを、一般の方はほとんどご存知ないんじゃないかと。

園山氏:今は何人かいらっしゃいますけれど、1999年に会社をリタイヤして、その後航空コンサルタントとして会社を興したのは、他におられませんでしたね。それでたまたま本に出たことで、北九州の方からご相談を受けたのがきっかけです。

でも私はどこか頭の隅に、北九州にまた要らない空港ができるんじゃないかという思いがあったのですが、とにかく会いに行ってみようと。そしたら関空と同じように、橋で繋ぐ空港だったんです。

関空はあの橋がとても不経済で、貨物を持ってくる度にお金がかかる。上屋も不便な上に、なにをするにも関所の如くお金を払わないと許可が下りず、高くつくから荷主さんの負担が大きいんです。

それで市の方に、基本的になぜ作るのかをお聞きしたんですね。空港を作っても、飛行機が来なければただのコンクリートの塊で、ただゼネコンを儲けさせるだけですから。

岩本氏:仰るとおりです。

園山氏:北九州には船や鉄道のジャンクションもあるので、アジアに近い貨物主体の空港なら考えられるんじゃないかと。そこで北九州の方に、作るなら貨物を主体とした空港ならお手伝いできると申し上げました。

岩本氏:規制を外して負担が少なければ北九州も活性化すると思われた?
園山氏:最初に、橋を無料にしないとできませんとすごく強調しましたね。結果、北九州市市議会で通り無料になりました。

岩本氏:なるものなんですね。

園山氏:無料といっても市と県が負担していると思います。一般のお客様だけでなく、バスもトラックも一切払わなくて良いはずです。それと、24時間稼動できることが最低条件。まず貨物を主体にすることで、お金を掛けない空港ができる。

例えばインテグレータのような会社が貨物をリシャッフルしてまた飛び立つ。それなら橋を渡らなくても良いし、海上だから24時間稼動しても住民からの文句もないだろうと。

そういう空港が一番理想的だと提案し、某インテグレタ―にも接近致しました。しかし、大型貨物には滑走路が4000m必要で、2本以上。北九州は3000m1本しかなかったので実現に至りませんでした。

やはりこれまでの空港は、貨物のことを考えないで建設されていますから、貨物を扱う物流業界の人が、どういう空港を必要としているか、外資系も含めて航空業界の方々とのセミナーを開いたりしました。

岩本氏:先にある程度のビジョンがないとだめなんですね。

園山氏:そうなんです。貨物上屋にトラックが入って来たら、貨物置場でぐるっと回らないと退出できないんですね。そうすると入ってくるトラックとバッティングする。そうなるのを避けて全部一方通行の道路を作るといった絵を描きました。今、名古屋でそれが実現し使われていますけれど。

岩本氏:やはり誰が利用者で、何をどう使うかなんですね。

園山氏:そこをつくる側は理解してほしいと思いますね。

2013/11/04


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