■ コンサルティング談 #13

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■ コンサルティング談 #13

現場がわかるコンサルタントとして実践と学習を続けて

現場がわかるコンサルタントとして実践と学習を続けて

第13回のゲスト・木下綾子さんは、製造業を中心に中小企業診断士として活動しています。独立3年目にして、ご自身の会社を設立するだけでなく、2016年4月からは大学院へ入学して再び専門性を追求する熱心さ。この数年間、どのような経験を積んでこられたのか、またいまの心境や今後の展望までを語っていただきました。
リーマンショックが背中を押した
平井:キャリアのスタートから教えてください。

木下:社会人のスタートは、日立マクセルからです。デジタルペンの開発に携わっていました。ペンに赤外線カメラが入っており、筆圧をかけるとそのタイミングで紙に印刷されているドットパターンを認識し、筆跡を記録するんです。

私は、この製品の仕事をどうしてもやりたくて入社しました。日立マクセル製のデジタルペンのファームウェア、使用時のアプリケーション開発に3年半ほど携わりました。

平井:なぜ転職したのですか。

木下:私としては面白い仕事でしたが、ペンの価格が高く、事業として成立するのが難しかったため、事業部がなくなりました。そのタイミングでセイコーインスツルに転職しました。

そこではオーダーエントリーシステムという、飲食店で使用されるハンディターミナルとサーマルプリンターなどのファームウェアを担当しました。5年と10ヵ月くらいですかね。

平井:中小企業診断士の勉強をなぜ始めたのですか。

木下:転職したのが2008年10月で、リーマンショックの翌月でした。お給料もボーナスもカットされ、「これは何か資格を取って、自分で稼げるようにならなければ」と思ったんです。

ゲスト:木下 綾子氏
こうと決めたら一直線
平井:なぜ中小企業診断士を選んだのでしょうか。

木下:幅広くさまざまな勉強ができるからですね。他の国家資格は1つの分野を突き詰めるものですが、勉強を始めてみて合わなかったらつらいと思ったんです。

中小企業診断士は独占業務もないため、好きな分野で仕事ができるイメージがありました。もし、何か専門性を追求したくなれば、改めて勉強すればよいと考えていました。

平井:勉強の目的は何ですか。

木下:会社を辞めて独立するためです。早期退職も実行していましたから、会社の将来に不安がありましたし、漠然と「独立できたらいいな」くらいに思っていました。

平井:組織から離れて働くことに対してイメージは湧いていましたか。

木下:あまり湧いていなかったため、独立している知人に話を聞いたり、知り合いを増やしたりしていました。

平井:勉強中にご結婚をされたのですよね。

木下:はい。合格してから結婚するつもりが、1次試験にあと数点というところで落ちてしまったんです。2次試験は自信があったため、結婚の準備も合格する前提でしていました。結果、翌年の試験に合格し、2013年4月に中小企業診断士登録をしました。

平井:モチベーションの維持が大変そうですね。会社を辞めたくても、合格しないと辞められない、という葛藤はありませんでしたか。

木下:ありました。辞めるためには合格するしかありませんからね。結果的に、無事合格できたため、2014年に独立しました。そのときには独立のイメージが見えてきていて、先輩中小企業診断士のオフィスを借りたり、一緒に仕事をさせてもらったりしていました。

平井:こうと決めたら進めるタイプですね。

木下:これまで、自分の決めたことに対して周囲から反対されたことがないからだと思うんです。「やりたい」と言えば、やらせてくれる親でしたし、主人も何も言いません。だから、こうと決めたら進んでいますね。

インタビュアー:平井彩子
製造業支援をするコンサルタントへ
平井:独立してからは、どのような仕事をしようと思っていましたか。

木下:製造業を支援したかったのですが、さまざまなことをやってみたほうがよいと思い、独立して1年はいろいろとやりました。商店街支援、窓口相談、創業セミナーの講師などですね。さまざまなものにチャレンジするうちに、自分に合う仕事、合わない仕事がわかってくるようになりました。

平井:チャレンジしてみて面白かった仕事はありますか。

木下:インタビューや執筆は楽しいと思いました。さまざまな方にお会いして、話を聞けるのは楽しいですね。

平井:そこから、どのように自分の中で仕事をコントロールしていったのでしょうか。

木下:「一般社団法人首都圏産業活性化協会(TAMA協会)」での仕事が大きかったですね。ほぼ職員と同じように仕事のお膳立てをする仕事です。かつ人が足りなければ、自分も専門家として動きます。

国や自治体の補助事業ですので、申請書を書いて予算を獲得し、運営を理解し、支援企業に行って事業の説明をし、専門家に仕事を振り、最終的には国に報告する書類も作る、という一連の流れをすべて経験できる仕事でした。製造業支援を中心としている団体でしたので、このやり方がわかれば今後に活かすことができると思いました。

私は、その中で人材育成の担当でした。製造業の人材育成、採用の支援で、研修や合同企業説明会を企画したり、専門家派遣のお膳立てをしたり、いわゆる前さばきです。

平井:とてもよい経験をされましたね。製造業をメインに支援するというのは、独立当初から謳っていたのですか。

木下:はい、最初から周囲には言っていました。もともと理系ですので、ものづくりが好きですね。私はソフトウェア開発をしていたため、加工などはわからず、逆に興味があったんです。製造業の専門家は少ないため、少しでも貢献できればと思っています。

平井:製造業において、自分だから出せるバリューはどのあたりにあると思いますか。

木下:難しいところではありますが、他の中小企業診断士の方は、生産管理や新工場立ち上げなど、内容をかなり専門的に絞っているケースが多いため、自分はその逆を行こうと思っています。

経営改善・事業再生など事業の道筋を作ることに特化し、より専門的なことはわかる方に潔く振ろうというスタンスです。

平井:その点では、公的機関での前さばき経験でコツをつかんでいらっしゃいますね。現在はどのような活動をしていますか。

木下:ライブリッツ・アンド・カンパニーという会社の取締役をしており、そこでは中小製造業を中心に経営改善の支援をしています。また、「東京都中小企業振興公社多摩支社」の製造業インタビューも受託しています。

平井:ご自身も会社を設立していますね。

木下:2015年3月に「株式会社ステラコンサルティング」を設立しました。「公益財団法人横浜企業経営支援財団」や「東京都医工連携HUB機構」の医工連携コーディネーターとして、イベント運営や医療機器メーカーと中小製造業のマッチング支援などを行っています。

事業としてはコンサルティングが半分で、残りの半分はまだ模索中ですが、ほかの事業をやりたいと思っていましたので、思い切って法人化しました。
再び大学院へ
平井:2016年4月から東京農工大学工学府の産業技術専攻に入学したそうですね。

木下:将来を見据えての勉強です。MBAに進む方は多いですが、私は理系出身ですし、どちらかというとMOTに行きたいという思いが会社員時代からありました。

とは言え、独立1年目では仕事が開拓できないまま大学で忙しくなりますから、1年目は仕事をし、2年目も軌道に乗ってきたところだからと続け、3年目で何とかなるかと決めて入学しました。

平井:どのようなことを勉強するのですか。

木下:技術経営です。企業や大学が持つ技術シーズを事業化させ、新たな経済的価値を生み出すためのマネジメントを学びます。前期は週に2日のペースで通っていますが、講義内容はかなり専門性が高いです。

たとえば科学計量学の講義では、研究者や研究機関を客観的に評価する方法として、論文の被引用数などの指標を用いた調査・分析、その問題点や課題について学びます。企業がやろうとしている研究や、実施している研究の評価をするために使えるということですね。

この分野がどれだけ研究されていて、この先競合がいるのか、未来のある分野なのかどうか、などがわかりますからね。

平井:本当に専門的ですね。

木下:まずは、大学院の卒業まではしっかりと勉強をしながら、現場での経験を積んでいきたいです。あとは、自分で作った会社の仕事をもっと取ってくるための営業をしなければならないと思っています。国の補助事業を委託されるくらいの企業にして、地域の製造業に貢献したいですね。

平井:いまは、ご自身のイメージどおりに進んでいますか。

木下:まあまあですね。製造業は、自分がメーカーにいたときにもっと勉強できた内容だと思うんです。ハードにもソフトにもかかわっていましたし、工場にも行っていたわけですから。

なぜあのとき、もっと見ておかなかったんだろうかと、後悔もあります。その意味でも、いまは大学院での勉強と仕事における経験を積むことですね。
現場がわかるコンサルタントを目指して
木下:いまは独立4年目です。まだまだですが、少しずつ取捨選択ができるようになってきました。もちろん、目指すべき姿には全然達していません。目指すべき姿は、コンサルタントとして一人前に「製造業専門です」と胸を張って言える状態ですね。

平井:製造業で一人前というと、具体的にはどのような像を描いていますか。

木下:現場をしっかり見て、現場の改善ができるコンサルタントです。社長さんとだけ話して帰るようなコンサルタントにはなりたくないですね。そのために、従業員の方々ともしっかりと向き合っていかなければいけません。

コンサルタントがいなくなった後に元に戻ってしまったら意味がないので、従業員の方々を巻き込んだ継続できる仕組みづくりが大切だと思っています。

平井:いまはとにかく、経験が大事ですね。

木下:はい。いまはわからないことのほうが多いため、開き直っています。わからないところは素直に聞き、さらにネットワークを活用して、わかる方に頼むこともあると思います。そう思っていないと不安になってしまいます。

技術がわからないから製造業に携わらないという方も多いですが、私もわからないことは多いです。それでも携われているのですから、自分の活躍できる領域があるということだと思います。

平井:そうですね。ちなみに、私たち中小企業診断士の使命とは何でしょうね。

木下:国の政策を活用して、中小企業の支援をするのが中小企業診断士の使命ではないでしょうか。経営者としては施策とは関係なく仕事をいただけるのが一番ですが、額面に惑わされず、自分の方針に合った仕事をして、お客様に喜んでいただきたいです。

あとは、企業のためにならないことはやりたくありませんね。支援側の予算の都合にお客様を付き合わせてしまうのは良くないと思います。

平井:近い将来のお話は伺いましたが、今後の展望はどのようにお考えですか。

木下:一番迷っているところですね。実は、実家が運送業を営んでいるんです。コンテナを港から運ぶ仕事です。私は妹と2人姉妹で継ぐ人がおらず、父親に「私、継ぎます」と話したこともあるのですが、「継がなくてよいから、好きなことをやりなさい」と言われてしまいました。

実際、好きなことをしているのですが、結局継ぐ人がいないまま現在まで来ていることは気にかかっています。社員は30名ほどいますし、父は61歳ですから、私が継いだほうがよいんじゃないかとずっと思っていたんですけれどね。

平井:この先はわかりませんね。継がれる可能性も高いかもしれませんね。

木下:実業をやりたいという思いから、父に申し出たんです。廃業するのがもったいないという思いもありますし、自分が経営の勉強をしていることもありますしね。ですから、父に「継いでくれ」と言われたら、やろうと思っています。

そうなると片手間ではいきませんので、そちらに専念することになりますが、こればかりは私1人で決められることではありませんので、中長期的な動きになると思います。
木下 綾子
中小企業診断士
株式会社ステラコンサルティング 代表取締役

大学、大学院で電気電子情報工学を学ぶ。2005年日立マクセル株式会社入社、主にソフトウェア開発に従事。2008年セイコーインスツル株式会社入社を経て、2014年独立。主に製造業を中心とした支援に携わるほか、公的機関の登録専門家や支援事業、企業への人材育成・確保支援、商店街支援、執筆など幅広く活動している。

株式会社ステラコンサルティング
HP: http://stella-consulting.jp/
平井 彩子
中小企業診断士
平井彩子事務所 代表

独立系ソフトウエア開発会社でプロジェクトマネージャを担当。証券会社向け、ベンチャーキャピタル向けシステム等、金融機関向け業務システムの構築現場を数多く経験。2010年からは、中小企業向け経営改善をメインとするコンサルティング会社に勤務し、会計業務支援、資金繰り改善、事業計画策等を担当。2012 年平井彩子事務所を設立し、コンサルタントとして独立。人材育成を中心に、業務改善、システム構築支援など、現場が自分たちの力で実行する仕組みづくりから支援を行っている。
FB: saiko.hirai
2017年9月/撮影協力:わたなべりょう

2017/09/25


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